御由緒
人皇四十代天武天皇御宇白鳳十三年甲寅四月十四日当大地震の時、佐比責山西島崩落此の水源下流を埋めしより霊地となる此水、多くの沃田を潤す故に人民厚く水霊を崇敬し、四十九代光仁天皇の御宇宝亀五年三月十五日社を創立して勧請す。
延喜帝其神徳を仰ぎ式に列し給えり。是即ち式内遅幣姫神社之なり。
当霊地は佐比責村池田川合村邁摩郡行恒長久村大字稲用延里、静間の各水田を潤し海に入る。
逞幣神社と訓する所謂は佐比責山の崩壊せし時大なる瓶三つ出ず。
其第一の瓶は川合村に流出し納まり、第二の瓶は此の池に納る故に週幣姫神社と号す。
即ち水祖の神霊なるを以って人民信仰厚き神社なり第二の瓶の入りし処に古松あり。名称を御瓶の松と今に伝う。
万葉集巻七に君が為浮沼池の菱採ると、我染し袖濡れにけるかもとあるは即ち此霊地なり。
其後当領主加藤蔵内之助其神徳の炳為たるを以て社殿を再建し神田を寄附し給う。
然るに世移り時変るを以て社殿大破せるは明治五年申二月六日、当地大地震の為め殿宇一切倒壊せり。
故に戸長大家松尾友治郎中興せんと去る明治十一年神殿幣殿拝殿を新築の議出願再建せり。
依て池水流末及安濃郡中人民信仰の厚きを以て神社の壮麗なる事拾も厳島神社に次げり。
第三の瓶は池田三瓶谷に入ると。此郷は忌部宿禰司られし処にて忌部の里と又高田の郷と称せり。
文武天皇御宇大宝二壬寅年改称高田の郷池田村と称せり。
神社概要
神社名) | 邇幣姫神社(にべひめじんじゃ) |
鎮座地 | 大田市三瓶町池田303 |
主祭神 | 邇幣姫神 |
例祭日 | 7 月15日 |