御由緒
延喜式内社にして人皇五十代恒武天皇の御宇延暦十一壬申年三月十五日石見國造紀氏 勢州安濃郡より奉遷せしに始まる、貞観十三年十二月正二位を授く。
内務省蔵版特選神名牒によれば、國造紀氏は橿原の朝神皇産霊命五世の孫天道根命定賜國造とあり、姓氏録にも神魂命五世孫天道根命とあり、三代実録に貞観四年七月伊勢國安濃郡人爪工伸業賜安濃宿禰神魂之後也とあれは紀伊國造も石見國造も伊勢國安濃宿禰も同脈にして古くより伊勢にも石見にも分れ、住に随い地名を移したることは、伊勢石見共に安濃郡あるので分る。
鎮座地は石見風土記によれば元入部の郷と称し神亀三年野井と改め社地を入山と云う。
聊々野井の地名は天然の泉あり旱天にも渇せす霖雨にも濁らずして清水湧出す、此泉を根拠として原始林の伐り倒しを始め耕地を開墾せり、依て此の地を入りと云い社を切り入りの宮と称す此地方最も早く開けたる処にして國造の居たりしことも然るか、石見國造はその後邑智郡吾郷村に移れりと其他にある天津神社は当社を遷したるものと伝う。
吾郷は安濃郡の義にして近く野井の地名もあり 。
元亀年間源朝臣小笠原真次郎長施仝上野介長寅等大に崇敬し社殿の再建をなす、慶長五年毛利輝元当國守護たりし時社殿の再建神器奉納せりと、その後守護職竹村丹後守、杉田又兵衛山高孫兵衛等社殿再建葺替等をなし武運長久の祈願をなす。
往古は社殿も多かりしと見えて神社周辺に関係の字名現存する、即ち御供田(壱町弐反五畝)天神分(参町歩)厨田(くりだ祠官の俸禄)卜定田(うらべだ)剣田、浮橋、横繩たて繩等の地名あり。
明治四十一年七月村社野井神社と郷社八幡宮を合併し郷社野井神社とす。
明治四十一年十月字用田鎮庄亀山八幡宮を合併し仝四十四年一月字山王鎮庄山王神社並に字王子山鎮庄の王子神社を合併す。
明治四十一年十一月島根県告示を以て神饌幣帛料供進社に指定せらる。
神社概要
神社名 | 野井神社(のいじんじゃ) |
鎮座地 | 大田市長久町長久イ59 |
主祭神 | 神皇産霊神 |
御神徳 | 産霊の神として産業開発・各成就の神徳有り |
例祭日 | 10月12日 |
駐車場の有無 | 無し |
最寄りの駅・バス停等 | 山陰線大田市駅 和江鳥井行バス7分 |
公式サイト | https://noijinja.localinfo.jp/ |
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