五十猛神社

五十猛神社

御由緒

勧請年歴不詳というも五十猛父神武進雄命と共に新羅国に天降り給ひき夫より埴舟に乗り皇大御国に帰り給ふ。

其時に磯竹村の内大浦の灘なる神島に舟上り坐し給ひて 父神武進雄命は大浦港に鎮り坐し 御子五十猛神抓津姫神 大屋姫神三柱の神は磯竹村の内なる今の宮山に御社を立て鎮り給ひ。

夫より地名を五十猛村と申すなり 沖長足姫命 響田別命 武内宿祢の三柱は八幡宮と申し奉りしが当時勧請年月日不詳社殿に曰く歴応年中の頃までは磯竹村の内なる八幡迫と言える處に鎮座の由。

其れより五十猛命の鎮り座して今の宮山に御傅坐になりし由。

元亀年中毛利元就領分の節八幡宮五十猛神社社領として高壱弐斗附せらる。

明治四年上地す(棟札による)大正三年一月二十二日五十猛神社と八幡宮とを合併し社号を五十猛神社と称する旨出願同年四月二十五日附を以て許可を得大正四年七月十五日合併を了す。

大正十四年八月十七日村社に列せらる。

神社概要

神社名)五十猛神社(いそたけじんじゃ)
鎮座地大田市五十猛町2349番地1
主祭神五十猛命,狐津姫神,大屋姫神,沖長足姫命,譽田別命,武内宿祢
御神徳主祭神 五十猛神 配祀神 狐津姫神 大屋姫神 沖長足姫命 貴田別命 武内宿祢
例祭日4月第2日曜日 例祭
その他祭事11月23日 新嘗祭
駐車場の有無
最寄りの駅・バス停等JR五十猛駅
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