御由緒
創立年月日明治十二年五月七日 神階従四位、県社大正七年五月十四日 井戸平左衛門正明公は旧冪臣にしてその姓を社号とする。
享保十六年九月二日御年六十にして石見代官に任ぜられる。
飢饉の打続く領内で仁慈の道 を説かれて義損金を集め辛うじて窮民を救い給うも、翌十七年は冷害にして一粒の食もなき大飢饉に幕命を待たず、陣屋ならびに庄屋等の保管せし公租の金穀を始め上納年貢を頒ち与え免租の断を下し給う。
更らに薩摩より甘藷百斤余を苦心して入手し百石につま八箇づつを与えて試作『せしめ、松浦屋与兵衛な乙老農の熱心な研究を得て栽培の基礎を固め厚生利民の道を樹立されたが、国法を破りたる罪を身に受け享保十八年五月二十七日の夜、心静かに備中笠岡の陣屋にて死じ給う。
行年六十二泰雲院義岳良忠居士と誰し笠岡の威徳寺に葬る。
領民追慕の余り各村に表徳碑を樹て芋法事と称えて遺徳を謝していたが明治十二年大森に井戸神社を建立し、歳時に享祀して今日にいたる。
神社概要
神社名) | 井戸神社(いどじんじゃ) |
鎮座地 | 大田市大森町イ1372 |
主祭神 | 井戸平左衛門正明公 |
御神徳 | 庶民救済,五穀豊穣 |
例祭日 | 5月26日 例祭 |